Had some sunshine, some rains.
更新日記。ときどき単なる日記。…つまり日記?(聞くな)
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最初はカヲりゅに似てると思ってたのが、ここにきて急に「もしかして美鶴に似てるのか?」と思い出してきますた。
何がと言うと「夏目」です。
年齢とビジュアルはどっちかゆーとカヲルに近いけど、親がいなくて親戚をたらい回しにされたとか、そういう所は美鶴っぽいなーと思うデス。
夏目にはニャンコ先生がいて、私はあのニャンコ先生と夏目の間に漂う絶妙な空気感が悶える程好きなんですが…みったんにもそういう存在がいれば、あんなに森を焼き払ったりしなかったんじゃないかと思いますねー。
や、先ほど夏目を読み直したもので。
考察というほどのことじゃないんですが、みったんについてつらつらと考えてみました。
映画と小説がごっちゃなのは勘弁してくださいw
何がと言うと「夏目」です。
年齢とビジュアルはどっちかゆーとカヲルに近いけど、親がいなくて親戚をたらい回しにされたとか、そういう所は美鶴っぽいなーと思うデス。
夏目にはニャンコ先生がいて、私はあのニャンコ先生と夏目の間に漂う絶妙な空気感が悶える程好きなんですが…みったんにもそういう存在がいれば、あんなに森を焼き払ったりしなかったんじゃないかと思いますねー。
や、先ほど夏目を読み直したもので。
考察というほどのことじゃないんですが、みったんについてつらつらと考えてみました。
映画と小説がごっちゃなのは勘弁してくださいw
美鶴は幻界を旅する時に、全く独りだったわけで。
原作の小説では一度オンバ様と接触あったっぽいですが(オンバ様が「今度は…」みたいにいう)、お金目当てで近づいて来た協力者を殺してしまった美鶴なので、きっとアッサリと拒絶したんだろうなって感じ。
現世では親に殺されかけて自分以外死んじゃってて、その後は親戚を盥回しにされて、原作では穴の開いたボロイ靴なんか履かされちゃって!、きっと財産とかも全部親戚にうやむやにされたんだろうなって感じが漂ってる。
その挙げ句に幻界で出逢った協力者は金目当てとか、どんだけ不幸属性MAXなんだ、美鶴!!
しかも事件が起きた時点でまだ8才ですよ。
それってもう、世界が壊れたといっていいくらい。
正直なところ、たった8才で環境激変して、しかもその後真摯に自分を守ろうとしてくれる大人が側にいなかった場合、美鶴が幻界で望みを叶えるためならどんな犠牲も厭わない、という考えになる方が当然なんじゃないかと思います。
子供って、大人が思うよりずっと周囲のことに敏感だし、いろんな事に気がついてる。
むしろ大人の方が、色んなことに気を取られたりして、見えなくなってることが多い気がします。
(仕事が忙しくて娘が援交してるのにも気づかない父親とか、その典型だよね)
そういう大人ばっかりに囲まれてて、それでもなお汚れなく健気にまっすぐ育つなんて幻想、あり得まいよ。
それなのに原作の美鶴はほのかに叔母の事を気遣ってるところまであって、あの悲惨な設定でよくそんな気持ちを他人に持てたなぁと思った。
いや、ある意味、美鶴はめちゃめちゃに、最高に健気な子でもあるのだけどさ。
反対に、亘はそれまでは普通の子だったわけで、かなりまともな家庭環境に育ってる。躾に厳しい父母もいれば、鷹揚な伯父もいるし、戦車な祖母もいるw
他人を信じることができる土台があらかじめ用意されてるんですよね。
だから、傷ついてても、周囲の好意や親切を最初から疑ってかかったりはしない。
ある日いきなり家庭が壊れたのは美鶴と同じだけれど、同時に平行して彼を気遣う伯父とかの存在は「守ろうとする」大人がいるってことで。
これ、人格に対する影響、凄い大きいですよ。
なんとなく、映画にしても原作にしても、この二人それぞれを取り巻く「環境」がそのまま幻界に反映された気がするんですねー。
もし亘が出逢ったのが金目当ての協力者だったら?
それだけで、亘の苦労は倍加するんですよ。
美鶴を愛そうとしない現世=美鶴を利用しようとする幻界だとしたら、現世で必要以上に過酷な運命にいた美鶴が、それを顧みる気持ちを持たなかったとしても、ある意味当然じゃないのかな、と。
もちろん、誰かに酷い事をされたからといって誰かに酷い事をしていいというわけではないし、それが正当化されるわけでもないけどね。
それを8才以降、どん底のままだった11才の子供に求めるというのも、ある意味暴力的な気がするんですよ。
同じ立場に立って考えてみたりしないで、正論を公式的に当てはめてマルバツ、みたいな感じ。
側にいて、見守って、おかしいと思ったら喧嘩してもいいからぶつかって。
そういう存在が1人でも身近にいれば、そもそも美鶴が幻界の扉を開く事もなかったかもしれない。
だからこそ、亘が最後まで美鶴をひたすら「友達だ」といった事の意味も重くなるし、原作での一緒に旅をしていなければだめだったんだという亘の後悔は的を得てるってことなんですね。
私が映画EDに萌えてしまうのは、きっと亘と美鶴に未来がある、という点なんだと思う。
美鶴を見て走り出す一瞬、亘の息づかいが入るんだけど、それがまた絶妙なんですよ。
嬉しいのと泣きそうなのとが入り交じったような、声になってない息づかい。
ここ、松さん激ウマです…!
なんかもう、この亘さえいれば、不幸属性MAXでも美鶴は大丈夫なんじゃないかってくらいに萌えた。
映画そのものは、本当に説明がはしょられてて、本当は前後編にわけてもいいくらいなんだけど、あまりにも萌えポイントが多すぎて、私の中では名作入りしてしまってるのでごめんなさいw
だってね!あんな色っぽい小/学生がガムテ拘束されるなんてエリョス、他にありましたか!?ハァハァ!!(もちつけ。)
正直なところ、私は死刑支持論者です。
不文律的な「2人殺したら…」とかではなく、理由如何によっては1人でも死刑でいい。
人を殺すからには自分の人権とセットで殺したと見なしますよって人です。
少年法ももっと厳しくしろと思ってます。
某母/子殺/人事件にしろ、名古屋のアベ/ック殺/人事件にしろ、死刑以外にはありえないと思ってます。
でもそれは、最近の犯罪の背景に同情の余地が1mmもないものが多いからです。
犯罪を犯した理由が、身勝手な甘えだったり、身勝手な欲望だったり。
仮に、美鶴の父親が生きてて、美鶴が憎しみに任せて父親を殺してしまったとしても、死刑と断じることができるかどうかは自信がないです。
むしろ、少年法で守ってあげるべきなのはこういう子なんじゃないか?と思ってしまう。
美鶴にとって、肉親でもあり加害者でもある父親が死んでいたということこそが、出口がないパラドックスの始まりだったのではないかなぁ。
より大きな悲劇を生まないために、時には憎む対象っていうのが必要になる事もある気がする。
自分の中に溜めておける量には限界があるし、それが限界を超えそうな時には逃がす場所が必要だって感じかな。
…そう考えると容赦なさ杉ですね、宮部みゆき(^^;)
美鶴の不幸属性MAXぶりに悶える私のような不埒な輩は逝っていいと思います。ハイ。
そして不幸すぎるお色気美少年は、一刻もはやく、元見習い勇者に幸せにしてもらってくださいw
亘のことはまた別の機会に。
原作の小説では一度オンバ様と接触あったっぽいですが(オンバ様が「今度は…」みたいにいう)、お金目当てで近づいて来た協力者を殺してしまった美鶴なので、きっとアッサリと拒絶したんだろうなって感じ。
現世では親に殺されかけて自分以外死んじゃってて、その後は親戚を盥回しにされて、原作では穴の開いたボロイ靴なんか履かされちゃって!、きっと財産とかも全部親戚にうやむやにされたんだろうなって感じが漂ってる。
その挙げ句に幻界で出逢った協力者は金目当てとか、どんだけ不幸属性MAXなんだ、美鶴!!
しかも事件が起きた時点でまだ8才ですよ。
それってもう、世界が壊れたといっていいくらい。
正直なところ、たった8才で環境激変して、しかもその後真摯に自分を守ろうとしてくれる大人が側にいなかった場合、美鶴が幻界で望みを叶えるためならどんな犠牲も厭わない、という考えになる方が当然なんじゃないかと思います。
子供って、大人が思うよりずっと周囲のことに敏感だし、いろんな事に気がついてる。
むしろ大人の方が、色んなことに気を取られたりして、見えなくなってることが多い気がします。
(仕事が忙しくて娘が援交してるのにも気づかない父親とか、その典型だよね)
そういう大人ばっかりに囲まれてて、それでもなお汚れなく健気にまっすぐ育つなんて幻想、あり得まいよ。
それなのに原作の美鶴はほのかに叔母の事を気遣ってるところまであって、あの悲惨な設定でよくそんな気持ちを他人に持てたなぁと思った。
いや、ある意味、美鶴はめちゃめちゃに、最高に健気な子でもあるのだけどさ。
反対に、亘はそれまでは普通の子だったわけで、かなりまともな家庭環境に育ってる。躾に厳しい父母もいれば、鷹揚な伯父もいるし、戦車な祖母もいるw
他人を信じることができる土台があらかじめ用意されてるんですよね。
だから、傷ついてても、周囲の好意や親切を最初から疑ってかかったりはしない。
ある日いきなり家庭が壊れたのは美鶴と同じだけれど、同時に平行して彼を気遣う伯父とかの存在は「守ろうとする」大人がいるってことで。
これ、人格に対する影響、凄い大きいですよ。
なんとなく、映画にしても原作にしても、この二人それぞれを取り巻く「環境」がそのまま幻界に反映された気がするんですねー。
もし亘が出逢ったのが金目当ての協力者だったら?
それだけで、亘の苦労は倍加するんですよ。
美鶴を愛そうとしない現世=美鶴を利用しようとする幻界だとしたら、現世で必要以上に過酷な運命にいた美鶴が、それを顧みる気持ちを持たなかったとしても、ある意味当然じゃないのかな、と。
もちろん、誰かに酷い事をされたからといって誰かに酷い事をしていいというわけではないし、それが正当化されるわけでもないけどね。
それを8才以降、どん底のままだった11才の子供に求めるというのも、ある意味暴力的な気がするんですよ。
同じ立場に立って考えてみたりしないで、正論を公式的に当てはめてマルバツ、みたいな感じ。
側にいて、見守って、おかしいと思ったら喧嘩してもいいからぶつかって。
そういう存在が1人でも身近にいれば、そもそも美鶴が幻界の扉を開く事もなかったかもしれない。
だからこそ、亘が最後まで美鶴をひたすら「友達だ」といった事の意味も重くなるし、原作での一緒に旅をしていなければだめだったんだという亘の後悔は的を得てるってことなんですね。
私が映画EDに萌えてしまうのは、きっと亘と美鶴に未来がある、という点なんだと思う。
美鶴を見て走り出す一瞬、亘の息づかいが入るんだけど、それがまた絶妙なんですよ。
嬉しいのと泣きそうなのとが入り交じったような、声になってない息づかい。
ここ、松さん激ウマです…!
なんかもう、この亘さえいれば、不幸属性MAXでも美鶴は大丈夫なんじゃないかってくらいに萌えた。
映画そのものは、本当に説明がはしょられてて、本当は前後編にわけてもいいくらいなんだけど、あまりにも萌えポイントが多すぎて、私の中では名作入りしてしまってるのでごめんなさいw
だってね!あんな色っぽい小/学生がガムテ拘束されるなんてエリョス、他にありましたか!?ハァハァ!!(もちつけ。)
正直なところ、私は死刑支持論者です。
不文律的な「2人殺したら…」とかではなく、理由如何によっては1人でも死刑でいい。
人を殺すからには自分の人権とセットで殺したと見なしますよって人です。
少年法ももっと厳しくしろと思ってます。
某母/子殺/人事件にしろ、名古屋のアベ/ック殺/人事件にしろ、死刑以外にはありえないと思ってます。
でもそれは、最近の犯罪の背景に同情の余地が1mmもないものが多いからです。
犯罪を犯した理由が、身勝手な甘えだったり、身勝手な欲望だったり。
仮に、美鶴の父親が生きてて、美鶴が憎しみに任せて父親を殺してしまったとしても、死刑と断じることができるかどうかは自信がないです。
むしろ、少年法で守ってあげるべきなのはこういう子なんじゃないか?と思ってしまう。
美鶴にとって、肉親でもあり加害者でもある父親が死んでいたということこそが、出口がないパラドックスの始まりだったのではないかなぁ。
より大きな悲劇を生まないために、時には憎む対象っていうのが必要になる事もある気がする。
自分の中に溜めておける量には限界があるし、それが限界を超えそうな時には逃がす場所が必要だって感じかな。
…そう考えると容赦なさ杉ですね、宮部みゆき(^^;)
美鶴の不幸属性MAXぶりに悶える私のような不埒な輩は逝っていいと思います。ハイ。
そして不幸すぎるお色気美少年は、一刻もはやく、元見習い勇者に幸せにしてもらってくださいw
亘のことはまた別の機会に。
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