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普段「おとこのこどうし」というものを主に書いてはいますが、自分はどうしたって男じゃないから、実際におとこのからだのどこをどーすればどういう風に感じるかは、想像や読んだことや聞いた話(ぇ)が元になりまつ。
とはいえ、ドリーム見るにしてもどこにドリームポイントを置くかで、出来上がるものの出す雰囲気とかは、かなり変わってきますよね。
これはあくまでも私の場合の話なのですがー。
例えば、ある事柄を表現するときに、
「フィクション(想像)の中にちょっぴりリアルを混ぜる方法」
と
「リアルに固めた中にちょっぴりフィクション(想像)を混ぜておく方法」
とがあるように思うデス。
肌に何かが触れる感覚は(場所によるけど)性別関係のない“リアル”だから、撫でる感じや撫でられる感じというのは恐らくほぼ差がない。視覚情報も、どこに着眼するかは差があるけど、まぁこれは女性視点の方が逆に共感得やすいかな。この時点で問題になってくるのはそれをどういった言葉で表すか、に尽きます。
反面、自分にない器官やそれにまつわる感覚についての描写は、それこそもう、ぶっちゃけインタビューでもしないことにはリアルには書けないと思うデス。
昔、小話を書くために実際に男性に根掘り葉掘り聞いたのわ私です。
その男性も、呆れずに(いや、呆れてたかも…でもなんか喜んでもいたようなw)よく赤裸々に答えてくれたよなー。しかも今でも可能なら色々聞きたいくらいなんだけど(マテ)。
その人とはもう何年も付き合いがないので、ニュースソースがないのが実に残念です。
じゃぁインタビューできないなら、後は読んだこととかに想像力を駆使して補うしかないわけで、要するにBLにおいてのリアルさとフィクションのバランスって、主にそこに集約される気がします。
かといって、読み手も女性なので、あんましガチにリアル一辺倒すぎても、むしろ物足りなく感じるみたいなんですよね。(少なくとも私はそうだ)
この場合の「物足りなさ」は、主にメンタルな面での描写にかかってくることが多いんじゃないでしょうか。
ある人物が何かを行う(施される)ことでどのように感じたのか、には、1つは身体感覚(フィジカル)としての「感じ方」、そしてもう1つは心(メンタル)での「感じ方」という常に二通りの答えがある。
で、女性はこのメンタルな部分に対して非常にセンサーが優れている。
優れているからこそ、ここがきちんと満たされると、それだけでえも言われぬ満腹感を感じやすいんじゃないかと。
もちろんこれは、フィジカルに連動して発生するメンタルな表現、という意味ですw
というわけで。
最近文章書いてて一番気になるのは、自分がわかる範囲の皮膚感覚を、どうやってうまくフィクションに変換するか、だったりします。
ぶっちゃけてゆーと、「おとこでもびーちくでかんじるなんて(棒読み)」って登場人物に思わせたとしたら、じゃぁそう思わせるに足る皮膚感覚を書きたいなーって事です。
それが野望。
それが楽しくなかったら、きっと私はBL書いてないと思うデス(笑)